~0 Rei(上巻)~

雑談
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採用活動をしていて、大学生と接していると「羨ましいなぁ」と感じるのがAIの進化です。私が大学生の時にはiPhoneが日本で初めて発売されて、生成AIなんてまだ言葉も知らなかった時代です。

そこから約20年経ち、勉強にAIを組み込むことが今後当たり前になっている過渡期にあるといえます。上手に使えなければ、明らかに劣位になっていく時代が来ることでしょう。

一方でそのAIに否定的な目もまだまだ多く、自分の意志を持って使いこなしていく必要性を感じます。そんな中でAIと人間を対比しながら、様々な視点を紹介している本がこの「0 Rei」になります。

上巻と下巻に分かれていて、読みごたえは正直十分です。本のまとめもだいぶ長くなりますので、ご勘弁を…。

1. 「意志」と無意識の構造

そもそも「意志」とは一体何でしょうか?よく自分の「意志を持て」と言われたりもしますが、どういうことなのでしょうか?本書では意志の説明をする前に「性格」について説明をしています。

性格とは今まで得た情報量の差、つまり「傾き」であると説明しています。生まれたばかりの赤ちゃんにはこの情報量の傾きがないので、極論を言うと性格は無いということになります。言ってみれば情報量には人生を重ねていくと差分が出ていきますので、その育ち方によって性格が決まっていくと言えます。

「意志」はこの性格、つまりは情報量に左右されます。事前の情報が少なければ、判断が出来ません。つまりは「意思決定が出来ない」ということになります。よく言われる「意志がない」という事象は、もっと正確に言うと「事前の情報量がなく、判断が出来る状態にない」と言えるのではないでしょうか。

この事実から考えると、人の意思決定には事前のデータが不可欠になります。意志決定を「なんとなく」しているという人もいるかもしれませんが、実際には意志がない人には決定は出来ません。量や質に差はあれど、データを抽出して羅列した上で決めているのです。

そう考えると、人間もAIも大きな差を感じません。「AIには創造的な仕事が出来ない」なんて言われますが、事前に情報がなければ何も創造が出来ないのは人間も同じです。異国の聞いたことがない料理名を言われて、あなたは味の感想を想像することが出来るでしょうか??

人それぞれの過去に集積したデータについて、少し考えてみます。イメージとしては先ずはPCを想像するのが良いでしょうか?

最も大きな領域としては、クラウドも含めたデータセンターになるかと思います。それがダウンロードしたファイルになり、HDDになる。

データの収容量は データセンター > ダウンロードフォルダ > HDD になりますが、これを人間に置き換えると「取り出しやすさ」という別軸が生まれます。 それは先ほどと真逆でHDD > ダウンロードフォルダ > データセンター という形になるでしょう。

これに人間版の名前を付けると潜在意識(データセンター)、前意識(ダウンロードフォルダ)、意識(HDD)の様なイメージとなります。過去の膨大なデータは、思い出せないのだけれども潜在意識として記録されています。本当に思い出せない…ですけれどもね。

その中で普段の意識は、思い出しやすいけれども分量の少ない状態として動いていることになります。先ほどの「意志」という傾きは、自分の膨大なデータの蓄積にて決定してると書きました。しかしながら、普段の意識でそれに気がつくことはありません。

ですので、過去のデータによって人は「動かされている」状態とは認識できません。意識の内のデータ量では、論理的にその状態に気がつくことが出来ないからです。一方でその状態が、人を苦しめることになります。

意識の上では願っていないのことが、潜在意識のデータ蓄積の中で望まれているため叶うことが往々にしてある…からです。この状態を、人は「無意識」と呼んでいます。

無意識の仕組みは、変えることが出来ません。PCが膨大な全てのデータをHDD上に置くことが出来ない(そうすると処理が出来ない)様に、人間もそうなると一つの行動を起こすのにとてつもない時間とエネルギーを使うことになります。

私たちがすべき態度とは「無意識が過去の自分のデータによって、望んで起こされたこと」と認めることになるでしょう。現実的に起きたことが一見自分の望んでいないことであるとしても、それは潜在意識のあなたが望んでいたことである可能性を否定することは論理的には出来ません。

であれば「現実を変えよう」とするのではなく、その「現実を受け入れる」ことが大切であると気づけます。

人の行動は、想いの反対です。「お腹が空いている」から「ご飯を食べる」のであり、いま「暑いと感じている」からこそ「冷たい場所に行く」という事実があります。心の中で思っていることと、実際に行われる行動は真逆です。

そしてもう一つ大切なことは、その「現実」にも目を向けることです。どうして「お腹が空いている」のでしょうか?そこに、食べるものがないという現実です。どうして「暑いと感じている」のでしょうか?そこが、暑い場所であるという現実です。

想いと行動が真逆であるということは、行動と現実も真逆であることを示しています。

想い ←→ 行動 ←→ 現実 ということですね。

さらに言うと想い(特に潜在意識として、意識が出来ない)と現実が、全く同じようになるということも言えます。想いが強ければ強いほど、その現実は遠ざかってしまいます。

長々と話してきましたが、実際にどうすれば良いのか。それは「現実」を変える(変えたいという想い)から変えるのではなく、自分の「行動」を変えるということです。正しく言うと「現実が変わらなくてもいい」と受け入れる…ということです。

…難しいですよね?「現実を変えたい」と行動しても、変わらない現実があります。想いは現実と=なので、その想いが強ければ強いほど現実は変わりません。

となると、行動を変えるしかないのです。かなりパラドックスではありますが「現実」を変えようとするのではなく、変わらなくてもいいと受け入れた人の「現実」が変わっていきます。

潜在意識から創り出された現実は、本来は自分の想いがカタチになったモノです。しかし、自分では意識して思い出すことが出来ない。まず変えるべきなのは「現実」ではなく、自分の「現実を変えたいという想い」なのかもしれません。

その想いを変えるためにすべき行動は「イマの現実を受け入れる」ということに他ならないのです。複雑ですよね?難しいですよね?

簡単にまとめると

  1. すべての事象は私が無意識にすべて起こしていた と認める
  2. 私の世界は全て私の願い通りだった と気づく
  3. 「別に変わらないでもいい」と 思い始める
  4. 現実世界がガラッと変わる

ということなのかもしれません。最初は気持ち悪いかもしれませんが、まずは行動から変えていく努力が必要かもしれません。

これも少し難しいのですが、なかなか行動できていない(と感じる)人におすすめの方法があります。それはこれから行動を起こすのではなく「既に行動を起こしている」と認めることになります。

現状を「行動出来ていない」と判断するのは自分ですので、その解釈を「行動できている」と変えるという意味です。現在や過去の事実に対してそのような解釈をすれば、実際に「行動している」ということになります。この意識によって、少なくとも行動を早めるという「意識」を持つことが可能です。

「明日から~する」という認識では、逆に「今はまだ~してない」という潜在意識を認めることになります。であるならば「すでにしている」と認識を改めるだけで、潜在意識を変えることに繋がります。

2. 感情と解釈の錯覚

先程の章に、もう少し「感情」という要素を加えて話を進めていきます。一言で言うと「起こった事実にどのような解釈をするかによって、感情は変えられる」と言えるかと思います。

人間の感情は「起きた出来事」によるものではなく、その出来事をどのように解釈したかによって決まります。「事実」は変えることはできませんが、その「解釈」を変えることによって「幸福」にも「不幸」にもすることが出来るわけです。

そして人の現実世界には、本来「やりたいこと」しかないというのが自然です。「望んだことが起きることが自然」という解釈をした世界であれば、起こった事実は潜在意識下であろうと顕在意識下であろうと自分の願い通りです。

人が「不幸」と解釈しているのは、「自分がやりたいことをやれていない」と感じている時と定義できます。そしてそれは、解釈のメカニズム上「勘違い」ということです。勘違いを止めて、起きている事実が望んだとおりであると気づくことこそ「不幸を取り去る」ということに繋がることでしょう。

人がやりたいことしかしておらず、目の前に起きていることは自分が望んだことなのです。

「解釈を変える」ということについて、具体的な訓練方法を挙げてみます。人間の性質として「一度手に入ったモノが失われると悲しい」という「保有効果」に着目します。

愛着とも言われますが、人は手に入れたものを失うと自分の一部を失う様に悲しい気持ちになりがちです。一方でその保有している状態ではあまり感謝の気持ちを持つことが出来ず、失ってからその大切さに気がつくというワガママな存在でもあります。

この状態を統合していくと「一度失ったと感じたモノを再度手にする」ことは、とても幸福を感じるということになります。その考え方を一歩進めて「既に持ってるものに感謝をする」ということが出来れば、新たな物理的な欲求を抑えることが出来るでしょう。

自分の子供が、もし誘拐されたとします。考えたくないですが、その時は1億円支払っても取り返したいときっと思うはずです。それだけの価値のある子供が、今家にいるのにその価値を常日頃から感じていることが出来ているでしょうか?

「一度失ったと感じたモノを再度手にする」ということを思い描き、改めて「既に持ってるものに感謝をする」ということに繋げれば、より幸せな生活を送れるかと思います。解釈を変えるだけで、同じ現実でも幸せであるかどうかは簡単に変えることが出来ます。

もう一つ日常的に起こすべき行動としては、寝る前に自分の記録に「ラベリング」をすることです。記憶はその都度更新され、いつの間にか潜在意識の中へとしまわれます。そして、忘れ去られますが、自分の傾きへと影響を与えます。

言ってみればそれをコントロールすることが出来れば、自分自身を変えることにも繋がるわけです。寝る前に今日1日を仕分けして、フォルダとして「素晴らしい1日だった」と記憶をしましょう。解釈自体を自分で決めることが出来る世の中であるので、その解釈を操りましょう。

長年の傾きがある以上、すぐに効果は出ないかもしれません。しかしながら、良い解釈を続けていくなかであなたの傾きはきっと変わっていくでしょう。気がつかないうちに、そして着実に。

3. 人間社会と自己認識

人間社会とは、自分以外の他人との関係性によって成り立ちます。そして社会にはルールや決まりが存在しますが、作成者が不完全である以上そこから出来上がる決まりやルールは不完全になります。

不完全であり、同等ではないことが当たり前という認識を、時々人は忘れてしまいます。「自分(だけが)不幸である」とか「(社会が)不平等である」という言葉に、それが投影されています。

そもそも人は生まれながらにして不平等であり、不完全であることを再認識しなければいけません。徒に他人を批判することもあるかもしれませんが、その感情は「自分への欲望への裏返し」であることを、改めて理解しましょう。

「本当は自分がそうなりたい」という現実を、否定してどうなるでしょうか?愚痴を吐くことは、あなたの期待したい(もはや顕在的な)欲求から自分を遠ざける行為になります。「そうではない」という現実を、肯定していることに他ならないからです。

根本的に人間は「平等志向」という都合のいい解釈があり、自分がそこから少しでも劣位になると愚痴を吐きたくなります。自分と違う境遇の人がいても、別にいいではありませんか?その人を貶めて、あなたの状況が上がることがあるのでしょうか?そうだと感じていたら、それはただの錯覚かもしれません。

周りと自分を比べるのは、私自身も物心がついたころからだったのかもしれません。周りと比較して「おもちゃを持っている友達」を見つけて、自分と比較したのが始まりでしょうか?

ただ、その事実を知らなければ、別に幸せでいたんですよね。別に最初から持っていないかったとしても、その時に近くにあるおもちゃで十分幸せだったのです。ただ、そのままで幸せだった時間があったんです。

そこに「○○のおもちゃを持っていないと不幸」とか「ディズニーランドに行ったことがないと不幸」という他人との比較で、言わば捻じ曲がった平等志向が入ってきたことで今の自分が出来てしまっています。

繰り返しになりますが、そのままで幸せだったのです。そこに「○○がない」という余計な思考が入ってきて、今の人間が出来上がっていくのです。

ここまでの話で、そもそも潜在意識という自分の内部すら理解して十分にコントロール出来ていない状況下であることが、お判り頂けたかと思います。そこに加えて「他人」を、どうして理解してコントロール出来ると言えるのでしょうか?

まずは他人を理解するということは、果てしなく難しいという認識を再度確認必要があります。そのことを教えてくれているのが、やはり子供の存在です。

子供は、相手の状況をお構いなしに自分の欲求を伝えます。物わかりが良くなってくることを人は成長と呼ぶのかもしれませんが、基本的には「他人の心を想像できない」という事実を具体化している存在であることに間違いありません。

他人の心というものがあることを認識もせず、産まれてから「自分」しか経験していない子供がそう考えることは自然なことです。一方で物分かりのよい様に見せている大人であれ、他人の心を覗くことが出来るわけではありません。ただ、自分が勝手に相手を「○○であろう」と思い込んでいるだけです。

自分以外の心を理解すること、考えることは結局のところ無駄なわけです。想像はいくらしようとも、あなたの心の中でしか物事は起こりません。他人「が」どう思っているかは分かり得ないのですから、他人「を」どう思っているかを意識する方が建設的です。それは自分の心の中で、起きていることですから。

他人に対する真理としては「変えられない」ということに尽きると思います。これは「現実」も含めて、同じです。つまりは「現実」も「他人」も変えるということは出来ないことであり、変えられるのは自分の「解釈」ということに他なりません。

4. 幸福と欲求

「不幸である」と解釈した現実を変えたいと願えば願うほど、その現実は変えられない。そんな人間の欲求、いわば「幸せになりたい」と願う気持ちを、もう少し掘り下げてみたいと思います。

幸せを求める人間の欲求には様々な解釈がありますが、私が一般的(よく目にする)と感じているのは「マズローの5段階欲求」になります。生理的 → 安全 → 社会的 → 承認 → 自己実現 という流れで、人間の欲求が高次になっていくというあの有名な説です。

ただ、この本では別の視点で解釈がされていました。手に入れたい物質や環境という「外的要因」と、それを受け取る本人の状態という「内的要因」を基本としていました。内的要因とは「美味しい食べ物」になり、外的要因とは「お腹の空き具合」というイメージでしょうか?

世の中の状態はどちらかと言うと「外的要因」にフォーカスされていて、常に様々な外的要因が人の意思決定や幸せに対して影響を与えています。そこに対して筆者は内的要因、つまりは「自分の状態や考え」を変える方が圧倒的にラクであると述べています。

これは幸せの要因とは「内的要因」に重きを置くことである一方で、その実体は「外的要因」によって引き起こされていることが多いとも捉えられます。外的要因によって「せざるを得ない」という状態にされている自分の状態の「真逆」を行うことで、人は幸せになれる。そして、その幸せに必要な要素は「勇気」であるということです。

幸福とは「①やりたいこと」が、「②やりたいとき」に「③やれている状態」のことを指します。「のんびりしたい」という行動は、いつやりたいでしょうか?もっともやりたい瞬間は真逆の「急いでいる時」です。

急いでいるというのは、外的要因によってもたらされます。外的要因によって「急ぐ必要性」を強要されている時こそ、真逆の「のんびりする」という行為が、何よりも幸せを導き出すことになります。いつかゆっくりするために「あえて」急ぐのです。

子供がイケないことことをすると、親として私は怒ります。どうして怒るのでしょうか?こどもがイケないことをしなくなって、「良い子だね」と言って抱きしめるためです。いつか抱きしめるために「あえて」叱るのです。

結果的には「一番欲しいモノ」は、自分の中で「一番ないと感じているモノ」という式が導き出され、その状態が解消されたときに人は「幸せ」を感じます。「人生のどん底」にいる人であれば、たとえ小さなことでも幸せを感じやすいことの証明です。

一方で、その状態には「勇気」が必要という事も頷けます。遅刻しそうで急いでいる時に、ゆっくりするコトには間違いなく「勇気」が必要ですよね?怒りたい感情を押さえて、笑顔で抱きしめることにも、当然「勇気」が要ります。

「勇気」を出すことがイヤな大人は、様々な理屈をつけて言い訳をします。あたかも、それが正しいかの如く。

結局これは「目的」が「手段」に支配されていることに、他なりません。「ゆとり」を求めて慌てることも、「笑顔」を求めて怒ることも、その手段を必要とはしていません。

手段を経由しなくても、目的は達成できます。

その目指している目的を、我々は知っているからこそ目指すことが出来ます。言ってみれば、その時の感情を「体験済み」であるといえます。どうしてあとでゆっくりするために、焦る必要がありましょうか?今ゆっくりすればいいじゃないですか。

どうして子供の笑顔を見るために、今怒らなければなりませんか?抱きしめてあげればいいではないですか?子供を叱ることで、イケないことをしなくなる?今そうやって怒っていて、子供はイケないことをやめているのでしょうか?

もう一度言いますが、手段を経由しなくても、目的は達成できます。

既に何度か記載していますが、人間の目の前にある現実はあなたの望んだことによって引き起こされています。買い替えを望むイマの車も、休みたいと嘆く今日の会社への出勤も、くたびれたと感じる今日の服装も全ては自分が望んだものです。

その中で人は「目の前にあるモノ」を否定するためかの様に、行動を起こします。目の前に起きていること以外が、本当に「幸せなのか」は分かりません。ただただ、目の前を「否定」するという目的を達成するかの如く、行動します。

目の前の否定と言う事は、人は「現状維持」を本能的に嫌っているという事です。0という地点からのズレを感じて、そのズレを0にいる状態を戻す…というイメージが近しいでしょうか?+3の状態にいればー3の方向に動きたがり、-5であれば+5の状態を目指すということです。

究極的には0こそ頂点であり、原点でもあるのですが、外的要因はその状態を許しません。CMが最たる例で、現状維持を肯定するCMは存在しないと言えます。今の状態を否定して「そのままではダメですよ」と幸福(+への誘因)や不安を避ける(-からの脱却)を促すことが、日常的に行われています。

この全てを否定して、何もしない状態を完全に肯定している訳ではありません。大切なことは、徒に外的誘因に動かされるのではなく、必要に応じた「モチベーション」を理解してコントロールすることにあります。人間の行動は「内的要因」と「外的要因」にて引き起こされますので、これを自分の意志で調整しなければいけません。

0という地点を目指して、言ったり来たりをする状況は人間の「内的要因」と「外的要因」の調整によって丁度よく保つことを目指しましょう。ただただ振り回されている状態は、とても幸せな状態とは言えません。

その中で人間の欲求を幾つかカテゴライズしていましたので、簡単にご紹介します。

① 世の中の現象を、コントロールしたい欲求

ゆらぎ:「自分でやりたい」と「誰かにやってほしい」

結論:物事はただ起こっているだけで、そこに力の作用など存在しない

② 承認の欲求

ゆらぎ:「認めて欲しい」と「放っておいてほしい」

結論:「存在」しているだけで、すでに認められている

③ 安全の欲求

ゆらぎ:「未来を安全にしたい」と「イマ退屈である」

結論:存在しているイマは、常に安全である

④ 所属の欲求

ゆらぎ:「周りと同じでありたい」と「特別でありたい」

結論:地球に「自分」は一人

どのカテゴリが強く出るかは、人の「傾き」によって左右されますが、結局0を起点として+と-のあいだを右往左往しているのが人間です。ゆらぎを日々感じながら、その中で0を目指して輪廻を繰り返します。

本書としては「平穏」な状態に活路を見出しているように、私は感じました。欲求の極論はどちらでもよく、0に落ち着くためには外的要因をコントロールして揺らぎを小さくするというイメージです。

人間は自分の納得に「理由」を求めることが多いのですが、これも「手段」と「目的」の関係とほぼ同義です。自分が愛されていると感じるため(目的)に、何かの理由(手段)をただひたすらに追い続けるのが人間の姿です。納得の根拠は人それぞれあるので、何か一義的に決定できるものではないです。

…で、あるならば、ただ「愛されている」と感じさえすれば(目的)は達成されます。手段という外的要因は必要ありません。正解などないのですから。

納得しない…となるかもしれませんが、「納得」を求めるその真理こそがマボロシなのかもしれません。

5. 人間の行動科学

ここまでの長い道のりを踏まえて、実際に取るべき具体的な行動をまとめます。まずは「欲求を手放す」とということです。そうすることによって、自分が今まで気がつけなかった多くのことがわかるようになります。

「持っている」「安全である」「認められている」「特別である」というカタチで自分を認め、それを持っていないという幻想を取り去りましょう。そのために幾つかの止めるべき具体的な行動としては「~したい」「~なりたい」「~だったら」「~れば」「~のに」という言葉が出る行為になるでしょう。

そして、今までと違う選択をすることを通じて、無意識に自分の避けてきたことに気づくということになるかと思います。急に人は、変われません。一歩ずつその道のりを歩むことが大切です。

人間の行動の根源にあるのは「内側にないと感じたモノ」を充足させるためという抽象化が、ここでは適切ではないかと思います。人間の行動を見ればその人が「何を欲しているか」がわかり、それが分かると実際に「足りていない」と感じているモノがわかります。

そもそも人間の行動にはまず①脳が何かしらのキズを受けることから始まり、次に②そのキズのせいで「自分には○○が足りていないのだ」と思い込むことに繋がります。そして③足りないと誤認した○○を補うために、具体的な行動を起こす…という流れです。

ただ、その行動は一義的に解釈できるほど単純ではありません。「もっと詳しく知りたい」と言う人の意志としては「納得していない」という一義的なモノではなく、逆に「全く信じていない」という意志が表れることがあります。

逆に全く質問がないという状況(面接において否定的に取られる)においても「完全に興味がない」という一義的な解釈に留まらずに、「完全に信じているから」という肯定的な意味に捉えられます。一般的な解釈に留まらずに、広く可能性を気付くためにも注意が必要です。

「信じる」という行為は、全く疑いのない状態のはずです、だからこそ、質問もないのでしょう。

天気の神様を信じると言う事は、別に「晴れ」を信じることではありません。目の前が台風であれば、それは「台風が一番いい」と信じるということが真実です。信じるというのはそんなに簡単なことではなく、自分の意見にとどめてはいけません。

信じるとは「全て」の「全て」を信じることです。

何が起きても、その出来事が「最高」であると感謝することこそが。我々の態度としての終着なのではないでしょうか?そう、神様を本当に信じるなら、イマの私の病気ですら信じなければいけません。「健康」ではなく、「病気」が一番良いってことですから。

あとがき
長くなりましたので、簡単にまとめます。

1. 世界は「解釈」でできている

2. 自分を動かしているのは「無意識」である

3. 不幸の正体は「思い込み」である

4. 「現実を変えたい」という欲求が現実を固定する

5. 幸せは「今ここにある」と気づく力である

6. 他人や社会を変えることはできない

7. 行動が、未来をつくる

8. 人間とは「揺らぎ」である

長くなりましたが、これでもまだ上巻なんです。下巻のまとめを、お楽しみに。

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