はじめに
みなさまこんにちは。ブログ主の「ろくさん」といいます。
ブログにお越し頂き、ありがとうございます。
簡単な自己紹介をすると執筆開始時年齢36歳の男性で、妻と子供が1人います。
趣味は『水泳』と『将棋』と『ムエタイ』でした。
他の人と少し違うのは
「悪性リンパ腫」という血液のがんに罹患している患者ということです。
このプロフィールを書いている時点では悪性リンパ腫を再々発をしていて
『同種移植』という治療に向けて抗がん剤治療中です。
元々は文書やパワーポイントといった『資料』を作るのは苦手で、
その場でホワイトボードに書いて説明するような仕事スタイルでした。
そんな私が「なぜこの様なブログを作る経緯となったか」については
追々話していきますが、病気についての闘病記録はNoteに記録があります。
興味があればそちらもご覧ください。

またここから長々と話す私の生い立ちに興味がなければ、
このブログの内容やイメージについて自己紹介のshortに記載しています。
そちらをご覧頂ければと思います。
大学まで
公立校から1年浪人をして、文系の地方国立4年生大学に入学しました。
専門は『管理会計論』ですが、卒論は『行動経済学』という変わった学歴です。
人生で最も頑張った記憶が強いのは、浪人時代でした。
その時に色々な人(予備校講師や親など)から心を動かされる言葉をもらい
自分なりの憧れとして『言葉で人の心を動かせる人』という淡い目標を持ちました。
浪人時代は一日14時間ほど勉強していながら、第一志望大学には落ちています。
『本番の弱さ』については強い自覚があり、
いわゆる『平常時に強く、緊迫時に弱い人間の代表』だと思っています。
1社目(金融機関)退職まで
相変わらず本番に弱く、就活の第一志望群は全滅…。
第二志望軍の面接官(当時専務→次期理事長)面接時の言葉に動かされて
地方の金融機関への入社を決めました。
いわゆる『言葉の持つ力』と『言葉の使い方のレベルの違い』を
強く思い知らされたと記憶しています。
1社目では、自分の中で社会人の基礎や常識(偏見)を学ぶことになります。
特に大事なことを教わったのは、自分の母親以上の年齢の女性が多かったです。

・小さな約束こそ必ず守る
・人に言われたことは必ず実行する
・相手にとって必要な話をする
実に様々なことを学びました。
自分の社会人の基礎は、このタイミングで造られました。
それなりに仕事は楽しかったですが
5年で転職をすることになります。
金融機関特有の硬直的な社風によって
だんだん仕事がつまらなくなり…。
さらに『実績』よりも汗をかいた(苦労した)ことが
評価されることに当時は疑問を感じていました。
2社目(転職エージェント)退職まで
入社のきっかけは、転職の相談をしに行ったことです。

君は何をしたいの?

『楽しいこと』がしたいです。

それってどういうこと?

…『自分の裁量』で仕事がしたいってことですかね?

例えば…うちだと出来るよ?

えっ?じゃあ入社します!
ただ、つまんなくなったら辞めますけど?

いいよ~。
…簡単に書くとこんな感じでした。
そしてその時の担当が上司になりました。
仕事内容は
『会社の採用したい人材のヒアリング』
『転職希望者のカウンセリング』
この2本軸でした。
自分なりの『根拠』を持って取り組めた仕事なので楽しかったです。
一方で「トラブル」もやや多かった記憶もあります。
カウンセリング時に相手の話を否定してしまう(話を適当に流せない)ことで…
カウンセリングが、ただの説教になってしまうことがよくありました。
それでも仕事のやりがいの方が圧倒的に大きく、担当企業からは

求人票はあんまり関係ないから、とにかく君が「良い」と思った人連れてきて。

会社のことを考えてくれた人材提案なら、とりあえず話を聞きたい。
そんなことを言われながら、日々頑張っていました。
転職希望の人材側からは
・友人の紹介(紹介者は比較的内定しやすい)
・内定者から手紙
・他社(私の紹介企業ではない)内定者からお詫びの菓子折り(なぜ?)
そういう嬉しいことも数えきれないぐらいありました。
仕事は楽しかったですが、ここも5年後に転職となります。
子供が出来て妻と「お互いの地元で子育てをしたい」という希望が一致したので、
自分の求人企業に相談をして無事に内定を貰いました。
3社目(メーカー)在籍中
以前と同様に営業職として勤務となりました。
ただ入社2ヶ月で長男の誕生とともに自分のがん(悪性リンパ腫)が判明…。
タイミング的には普通なら解雇でもおかしくないですが、
会社の温情もあってそのまま抗がん剤治療に入り、一時休職となります。
数カ月の休職の後「営業職より負担を減らせるのではないか?」
ということで人事として復帰をしました。
…復帰後の仕事は自分で言うのもおこがましいですが
浪人の時の次ぐらいにめちゃくちゃ頑張りました。
・過去に類を見ない採用量(採用人数・キャリア)
・採用システムの構築
・マニュアルの整備
・採用販路の開拓
…とがむしゃらに成果を上げていきました。
会社からは実績と頑張りを評価して頂き、
短期間での昇給や上半期の社長賞獲得など嬉しい評価もされていました。
戦国時代の主君に堅い忠誠を誓った侍並みの働き
だったと記憶しています。
ただ人事への復職から11ヶ月後に、がんが再発しました。
…さすがにこの時は泣けました。
治療のために再休養となりましたが、
会社は治療を後押しして復帰を待っていてくれました。
自分の恵まれている環境を心から自覚し、
抗がん剤治療と自家移植という辛い治療を、7ヶ月間耐えて退院しました。
そして5ヶ月間の自宅療養からの復帰間近で
再々発というカタチになってしまいます。
現在(闘病中)
今まさに、再々発の治療中です。
会社は今も私を待ってくれています。
そして病室でも出来る仕事を与えてくれています。
生きがいをもって日々の生活が出来てきます。
…私は、本当に恵まれています。
命の有限感を改めて感じた自分は
『色々なモノを整理していこう』と感じました。
例えば初発時から書いていたNoteを、
闘病含めた雑記から記事を整理して闘病のみに集中させました。
しっかりとした闘病記として
未来の誰かの資料となれば…と思ったからです。

病気と向き合うためにTwitterを再々発の段階から開始し、
病気と闘病中の方を始めとした様々な情報や感情の収集も始めました。
…そしてこのブログを始めようと決めました。
目的は自分の持っている知識の承継と、自分の生存証明になります。
出来る限り更新していこうと考えています。
自分の生きた証としてだけでなく
『自分の学んできたことで誰かの役に立ちたい』
『ブログを読んだ人の心を少しでも動かしたい』
こんな気持ちで続けていきたいと考えています。
また、このブログが更新している限り私は生きていることになります。
デジタルは苦手ですが、そんな病人でもやれば出来るということを
ブログを通じて少しでも示せればなぁと思います。
ろくさん