

「孤独」って言葉、どう思いますか?

うーん…。
良い面もあれば、悪い面もあるからなぁ…。

一般的には「悪い」ってイメージだと思いませんか?
でも、世の中には孤独を推奨する書籍もあるんですよね。

確かにそうだね。
自分なりの「孤独」の解釈もあるから、それを基にいろいろと考えてみようか?

わかりました。
お願いします。

そもそも、人間には「孤独」を避けようとする本能があるんだよね。
長い人類の歴史の中で、孤独であることは「死」を意味していたんだ。

食べ物が手に入らないとか、猛獣に襲われる危険ってイメージですよね。
そういう生活を、何万年もして生きてきた訳で…。

だから当然人間の本能には「孤独はダメだ!」って感覚が生まれるんだよね。
今は孤独でも簡単に死ぬことはないのに、本能は身体を病にしてでも孤独を止めさせようとするのさ。

なるほど。
孤独が病気になるというイメージよりかは、孤独を止めさせようとするサインで身体が病気になってしまうと…。

孤独の悪い面から話していくと、まずはうつ病や寿命の短縮という病的な悪い面が挙げられる。
あとは、孤独を避ける本能から生じる「同調圧力」に対する気疲れなんかも挙げられるかな。

わかります…。
気にする人は行きたくない飲み会とか、返したくないグループラインとかがストレスですよね。

だからいっそ「孤独」を正しく受け入れることが、自分は大切だと思っているよ。
孤独には良い面があるという話は、さっきも書籍等で目にするって言ってたよね?

そうですね。
孤独は「成長」のためには、必要だって話が多いですけど。

確かにその通りで、孤独の方が人は何かに集中して物事に取り組みやすいのは事実なんだ。
集中していわゆる「フロー状態」になれれば、人は幸福を感じやすいしね。

仕事は誰かとやることもあれば、一人で集中したいときもありますもんね。
創造的なアウトプットをする時とかは、私も一人の方がいいです。

良い孤独を選べる人は、別に人の話を聞かないわけではないと思うんだよね。
不特定多数の声を聞かずに、聞くべき人の意見を選ぶというイメージかな。

なるほど。
確かに、そうですね。

その声は「自分」も当然含まれていて、自分自身に向き合う「孤独」って時間も必要だと思うんだ。

わかります。
私は誰かといる時より、一人でいた方がイメージとして頭が回るような感覚もありますし。

そういう面もあるかもね。
「成長」は結局「投資した時間の量と質」に比例するから、他人に時間を使い過ぎないことが大切だと思うんだ。

よくわかりました。
こうやってお話を聞くと、孤独にも種類がありそうですね。

シンプルに「能動的孤独」と「受動的孤独」って自分は色付けしているよ。
能動的孤独が、まさに「良い孤独」だね。

自分から望んだ孤独…って感じですかね?

そんな感じ。
ちゃんとやりたいことがあると、とても有意義な時間になると思うよ。

一人での旅行も、一人での焼肉も慣れると楽しいですしね。
それを自分から望んでいるのならば、孤独は当然ポジティブですね。

一方で受動的孤独は、当然本能に反する行為だからネガティブになるんだよね。
繰り返しになるけど、結果的な孤独は人を不安にさせる。

世の中の不安のイメージは、こっちですよね。
誰かといても「疎外感」を勝手に感じて、強い孤独を感じる人もいるぐらいですし…。

だから、いかに「能動的な孤独」を実現するかに注力するが大事だと思うんだ。
一人でやりたいことや、具体的な目標があることがすごく大切だね。

一人で出来る趣味とかが楽しめれば、結果的な孤独も能動的になるかもしれませんね。
読書とか、散歩とか、ゲームとか…。

良い考えだと思う。
充実感が手に入れば、孤独を肯定的に捉えられるからね。

他人との関わりの中での孤独については、どうすればいいですかね?
もっと人との関りを増やして、親密な関係を築くべきですか?

自分は逆にドライに過ごすことの方が、現代には合っていると思うよ。
勝手に切れる縁を大事にしたって、あんまり意味がないんだよね。

距離を適度に保つ方が、結果的に精神衛生上には良いのかもしれませんね。

そもそも夫婦であっても、もともとは「他人」なわけだしさ。
絶対に全てが分かり合える人なんて、この世にはいないんだよね。

かなり強い言葉ですが、それを他人に期待して望んでしまうと…。
確かに、苦しいですね。

過度な「期待」や「要求」を普段からせずに、相手を否定しなければ人間関係が極端に崩れることはないと思うんだ。
そのくらいの距離感を保つことが、一番いいんじゃないかなぁ。

「孤独」に対する解釈、だいぶ腹落ちしました。
まずは「能動的な孤独」を目指したいですね。



