

最近学んだんだけどさ、部下を「怒る」んじゃなくて「叱る」必要があるよね。
「怒る」は自分の感情のストレスの発散だけど、「叱る」は相手の行動の改善に繋がるからね。

それ、よく言うわな。
でも、それすら間違うていると思うんよ。

そう…かなぁ?
結構「なるほどな」って思っているんだけど。

そもそも「叱る」やと思っていても、結局感情のまま「怒る」って奴もおるしな。
そもそも「叱る」行為がどうかなのかすら、自分には疑問やねん。

でも間違えた行動をしている部下を「叱る」ことをしないと、そのままになってしまうよね?
それが、そんなにいいことなの?

別に「叱る」を経なくても、相手の行動の改善は出来るやろ?
どうして「叱る」という手段を必ず用いるんや?

それは…たしかに。

そもそも「叱る」をもう少し深堀してみると、正しい方向に導くために一旦「言葉を使って相手をネガティブな気持ちにする」ってことやねん。
それが正しいとは、どうしても思えんのよな。

なるほど。

さらに言うと「叱る人」は「叱られる人」に比べて、圧倒的に立場が上の人が多いわ。
上司に親、先生と言った具合にな。

それも、そうだね。
下の立場の人が「叱る」ってことは、あまりないね。

つまりは「上の立場」の人間が「下の立場」の人間に、言葉を使ってネガティブな気持ちにした後に正しい方向を伝えるんやろ?
そんでその「正しさ」って言うのは、あくまでも「上の立場」の人の「常識的な正しさ」になるわけよな?

となると、その上の人の「常識」次第では無理やり正しさを押し付けていることになるなぁ。
そう考えると、ちょっと話が変わってくるなぁ。

そもそも人は「叱られる」と、自分の思考力が著しく下がってしまうんよ。
大事なことを考える余裕が失われるし、突発的な行動に走りがちな恐れがあるわ。

「学び」や「成長」に繋がると思っていたけど、少しイメージが変わるなぁ…。
「叱る」って行為は、あんまりその人の将来性に繋がらないのかもなぁ…。

「叱る」という言わば『「苦しみ」とか「ネガティブ」を介さないと人は変われない』という思い込みが、間違ってると思うんよな。
ネガティブを介すと「人を従わせやすい」っていう、いわゆる「叱る側の理屈」が重視されとるんよな。

叱る側の理屈かぁ…。
確かにそれは、使い勝手が良いのかも。

「相手のため」「世の中のため」「(自分の)正義のため」って名目で、立場が上の人は下の人間を叱るんや。
それって、本当に正しいのかのぉ?

でもさ、じゃあわざわざなんで「叱る」ってことを人はするのかな?
その話を聞くと自分だったら「叱る」ことは、わざわざする必要が無い様に感じるけど…。

それは、人間の根源的な欲求になるわな。
「コントロール欲求を満たしたい」とか「人に罰を与えると気持ちいい」って感じでな。

要するに「マウントを取りたい」ってことか…。
そのために気持ちいい理由をつけて、大義名分をもって「叱る」のね。

結局は、相手に自分の頭で考えてもらうことの方が大事やと思うんよ。
「叱る」を通じて常識を無理やり押し付けるんじゃなくて、あくまでも「自己決定」を導かんと意味がないのよ。

となると「叱る側」の人は、そもそも考え方を直さないといけないかもね。

そうやろうな。
他人に考えを改めてもらうっていう「目的」に対して、自分の取るべき「手段」を「叱る」から別のモノにする必要があるわな。

まずは…自分の「常識」を考え直す必要がありそうだなぁ。
そもそも「これは正しいのか?」って上の立場の人ほど、考え直さないといけないかも。

その通りやな。
常識は「時代」や「場所」によって、正解が変わることもあるからな。

目的はあくまでも「自分の想いを伝える」ってことだもんね。
それで、相手にも「考えてもらう」ってことになると…。

わかりやすく、感情的にならずにその事柄を説明する必要があるわな。
むしろ、上の立場の人こそその部分をしっかりせなあかんやろうな。

そこが「感情的」だと、いわゆる「怒る」になっちゃうよね。
でも、結局「叱る」っていうわざわざネガティブを経由させる必要もないと。

端的に、理路整然と指摘はしたいわな。
あんまり長くなると、逆効果やねん。

逆効果?

さっきも言ったけど、人は「叱られ」ても「怒られ」ても思考は鈍って突発的な行動をしがちなんよ。
だから短い時間で必要な事柄を伝えることこと、上の立場の人間の責務なんよな。

なるほどねぇ…。
そもそも「怒らない」し「叱らない」カタチでも、本来の目的である「相手の行動を変えてもらう」ってことは達成出来るってことか。

そうや。
「目的」のためには「手段」を限定するのは、あまり得策ではないわ。

そうだね。
僕も少し、気を付けるよ。



