~具体と抽象~

雑談
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自分の好きなテーマとして「具体と抽象」があります。世の中では「具体的」こそ正義の風潮がありますが、この理由について腹落ちしたのがこの本です。

「具体的」は性格上支持者の絶対数が多く、多数決になった時に「抽象的」を上回ることが多い。この理屈を、私の中でストンと落とし込んで頂けたきっかけがこの本でした。

内容はかなり濃密なので、自分なりに好きな部分を抽象化させて頂きました。日常的に考えると、いかにおかしなことが多いか…ということが少しでも伝わればと思います。

「抽象化」とは「ざっくりと一つにかたまりにして、なるべくシンプルに表すこと」というイメージで、私は理解しています。料理に例えると「包丁」こそが抽象化の象徴で、逆に具体化は「ピーラー」や「スライサー」のような専門道具のイメージです。抽象化(包丁)である程度は料理対応できますし、腕前一つで具体化の専門道具がいらないことが私の好みです。専門道具は場所も取るし、その専門領域以外は何もできない…というネガティブなイメージを持っています。

そういう意味では「抽象化」によってある程度説明できることが、面倒がりな私の性分に合っているんだと思います。でも、その代償として「抽象化」という作業に頭を使うイメージもあるかもしれません。

具体的な事象を「抽象化」してその本質を見抜くプロセスは、私にとっては楽しいことですが、多くの人にはそう映らないようです。このプロセスを省いた結果「1から10まで説明しないと理解できない人」が増えたと感じるのは、私だけ…でしょうか?

仕事とは「問題解決」であり、問題解決とは「具体と抽象」の往復運動によってなされる行為…のはずです。それが現代は具体を具体で解決しようとするので、本質的な解決には至らないと言うことが多いような気がしています。

いわば「言われたことを言われたままする」ということであり、こんなことは正直誰でもできるのではないでしょうか?全てを「前例通り」にやることも同じでありますし、よく聞く「自分が出来たのだからあなたも出来る」と言う発言も根本的には同じでしょう。

本書では「具体病」と表現されており、思考停止の人間はAIの餌食になる懸念を感じます。具体的な話ではないと理解も実行も出来ないし、言われたこと以外出来ないので応用が利かない人間を高級で雇う未来は、あり得る…のでしょうか?

では「抽象」の方が優れているのかというと、これもそう簡単にはいきません。世の中には「抽象病」も実は蔓延しています。

抽象病の最たる例は「で、結局何をするの?」という質問にとことん弱いことです。「迅速に対応策の強化を図ります」なんて耳障りのいい言葉は、結局何をするのかを表していません。表現が曖昧なので、責任を逃れるためにはうってつけです。

「ベストを尽くす」「徹底強化」「適材適所の対応」といういかにも官僚的と言うか、公務員的な文言を多発する人は無意識に「抽象病」なんだと思います。後付けの「べき論」や否定ごの具体的なアクションプランのない人の発言は、信用できないという私の感覚とも合致しています。雰囲気だけあって、結局何もできないんですよね。

具体病と抽象病の患者へのセンサーは、この本を読んでかなり敏感になりました。世の中には、この感覚がない患者が多いことを切に感じます。試しに痛いところを突くと、途端に無言になるということは、まさにそういうことなんだと思います。

世の中の基本は「個別具体的な事象」から「抽象的な法則」を見つけていくことが、現在に至るまで繰り返されてきています。具体を具体のままにしておくのではなく、そこから抽象的な法則や観念を作り上げていくのが当然であり大切です。

天気予報は最たる例で、今後予報の精度はさらに高まっていくでしょう。具体的な天気の辞令から、抽象的な予報の精度が上がっていくのは必然のことです。

「具体的な天気の情報 → 抽象的な予報データ → 具体的な当日の行動」

といった「具体 → 抽象 → 具体」の意識と活用が、仕事はもとより日常生活においてもとても重要であると感じます。抽象的なイメージによる共有も時には大事ですし、具体的を追い求めて詳細を詰めることも、ときには大切です。

どうも世の中はこのバランスを欠いたところがあって、どちらかに偏った対応をする人がいます。抽象と具体を使用する場面を、履き違える人がいます。

人間の行動について「抽象」と「具体」という言葉を用いて、端的にまとめられている本です。興味があれば、ぜひご覧になって頂ければと思います。