

自分より年下の世代を交えて会議とかをするとさぁ。

あぁ。

あんまり「発言」って出てこないんだよね。

そうなんや。

で、会議終わりに若手に色々と聞いてみるんだけどさ。

うむ。

みんな「考え的なモノ」は結構持ってるんだ。

ふむふむ。

ただ、なんかこう「否定される」とか「批判される」のがみんなどうも苦手で…みたいな人が多いんだよね。

なるほどな。

自分も批判されるのは好きじゃないけど…。
なんかもう「仕事だから仕方ないかな」みたいに思って、結構喋ることも多いんだけどさ。

「批判からは『生きている限り』逃れられへん」からな。

やっぱりそう?
『批判』ってやむを得ないもんだもんね。

そうやで。
「批判」とは『存在』と『行動』によってもたらされるものやからな。

『存在』と『行動』?

まず、第一に『批判』っていうものは『カウンター』に近いねん。

カウンター?
あの格闘技とかでよくある?

そうや。
『批判』っていうのはこちらが何か…まあ「社会に対する揺らぎ」みたいなモノをの起こすから、それに対しての『カウンター』ってことやね。

それは今回の会議でいうと「自分の発言」っていうものに対しての「誰かの発言」がカウンター、つまりは『批判』っていうイメージでいいの?

まあ、そういうことや。
つまりはその若者の言う通りに行動を起こさん限りは、基本的には何も起きんわ。

そうか。
じゃあ彼らは確かに「批判を避けるために必要なこと」をしているわけね。

でも、もう一つ大事なことがある。
そこに『存在』していることが、『批判の対象』になりうるってことや。

え?そうなの?

『存在』っていうのは、そもそも『誰かに認識されること』という意味や。

認識される…?

少し言葉悪いけども…。
この世の中には毎日多くの人が生まれて、多くの人が死んでいる。

そうだね。

当然、お前はその生き死には全て把握なんてしてないやろ?

…そりゃねぇ。

となると…。
「認識されていない人の生き死に」っていうのは、『存在してない』っていうのとほぼ同義やねん。

はぁ…。
なんかずいぶん哲学だね。

つまり『誰かに認識される』ということは、そこに『存在する』っていうことになる。
そしてその『存在』に対して何か言ってくる輩も絶対におんねん。

言い方が悪いけど…。
「あいつなんとなく〇〇」みたいなやつかな?

それに近いな。
だから『存在』と『行動』という2つに対して批判が起こるっていう性質上、人は『批判』から避けられないねん。

確かにそうだね。

だから、そこを恐れていても自分は仕方ないと思ってるで。
批判が嫌なら「行動しないこと」以外にも、「存在しないこと」の二つを満たさなあかんからな。

…それは現実的には無理だね。

自分なりの道徳と信念を持って「存在」と「行動」して…。
そこに対して無意味な批判をされることを気にするよりも、『支持してくれる人』を大切にすべきだと自分は思うんやけどな。

うん。それには賛成だね。

むやみやたらと批判を恐れるんじゃなくて、正しく批判と向き合うことが大事やな。
若手にもそれが届くとえぇな。

そうだね。なんとか頑張って伝えてみるよ。
