病気にならなければ、まず読むことのなかった本だと思います。奥さんが「読んでみたい」と言っていたのを、私が代わりに読んだ形です。
一番印象に残ったのは、人間の営みを2つに分けて考察していることです。…この考えは、一般の人にはあまり理解されない様に感じます。
「食べる・眠る・働く・排泄・休む・清潔を保つ」といったカテゴリが1つ。「人とのコミュニケーション・学ぶ・遊ぶ・趣味を楽しむ・誰かの役に立つ」といったカテゴリがもう1つ。
私の言葉で分類すると「生きる」と「善く生きる」になるかと思います。
世の中の人からすると、病人が必要としているのは「食べる・眠る・働く・排泄・休む・清潔を保つ」と言う「生きる」のカテゴリ。そこが不足していると、確かに生命の維持が難しくなります。その部分は納得です。
ただ、一方で「人とのコミュニケーション・学ぶ・遊ぶ・趣味を楽しむ・誰かの役に立つ」と言った「善く生きる」のカテゴリは、あまり重要視されていません。一般人の立場で考えると、この「善く生きる」は「生きる」の上位互換に見えます。「生きる」の土台の上に「善く生きる」があるようなイメージです。
一方で、病人からするとこの2つはどちらかと言うと『並列』にあるような気がします。「生きる」だけではあまりに味気ない。ただ呼吸をして、栄養を摂って、排泄をして…。そんなことを人は望んでいるのでしょうか?
でも、一般の人からするとそれは贅沢で、そもそも「生きる」が成立した上で望むものだろう…?と見えるのかもしれません。
こんなことを思ったことは実際ありますが、この考えを看護師の立場として肯定して頂いている本が、コチラになります。
病気に向き合う中で「生きる」だけでなく「善く生きる」という考え、行為の大切さを説いてくれます。捉え方は人それぞれかもしれませんが、私はこの本を肯定的にみています。
それが人によって「趣味」なのかもしれませんし、「家族」なのかもしれません。「仕事」の人もいるかもしれません。
「善く生きる」は、人間が生活をしていく中でやっぱり大切だと思わせてくれます。
それが結果的に命を紡いでいく中に、とても大切なことであると信じたいです。