

うーん…。

…また何かあったんか?
どないしたん?

僕の勤めている会社って「中小企業」なんだよね。

まぁ、そうやな。

大企業と比べて、福利厚生に劣っている部分ってあると思うんだ。

…そうやなぁ。
一般的に見てもそうかもしれんなぁ。

採用活動してると学生からパラパラと聞かれるんだよね。
「○○制度はあると思ってました」とか「××に関しては当たり前だと思ってました」みたいに。

福利厚生に差があるのは…。
まぁ仕方ないんと違うかのぉ。

でもさ、思うんだよ。
『当たり前』って思い込んじゃうと、すごく大変なんじゃないかって。

大変?

うちの会社は、今の福利厚生でもイロイロと改善してきてる途中なんだよ。
自分も携わってきたし、社員の人も改善に喜んでくれた結果もある。

ふむふむ。

それを『当たり前』としか感じないこれからの新人たちは、求めるものが高すぎて喜びを簡単に感じられないんじゃないかな…ってね。
…考え過ぎかな?

…いや、そんなことは無いと思うで。
『当たり前』の反対語を考えれば、分かりやすいで。

『当たり前』の反対語…?
なんだろう?

『感謝』つまりは「ありがとう」や。

なるほど…。
有難いってことは当たり前とは真逆かぁ…。

物事を「当たり前」やと思い込んでしまう奴は、若いか否かに関わらずにしんどいやろうな。

…どうして?

『幸せ』を自分からドンドン遠ざけてしまっているからや。
しかも『無意識』にな…。

幸せ?無意識?
話が壮大になりそうだなぁ…。

幸せの定義は『感謝』にある。
感謝している間は、人は幸せなんよ。

『幸せ』=『感謝』かぁ…。
聞いたことある様な…。

まぁ、自分からももしかしたら既に話してるかもな。
「当たり前」に慣れ切ってしまうと、「感謝」をする機会が圧倒的に減るんよ。小さな感謝なんてまず気付けん。

確かにそうかもね。
日本って国に生まれて、海外を旅行して気付く「日本の当たり前の有難さもある」って聞いたことあるし…。

日常的に『感謝』に気付くには多少訓練が必要や。
『感謝』とは事実の捉え方やから、日常の出来事をどう捉えるかで感謝が出来る人にもなれるで。

日常の出来事の捉え方かぁ…。
僕もスルーしていることが沢山あるんだろうなぁ。

本来「事実」には「良い」も「悪い」もない。
それを各々がラベリングして「良い」とか「悪い」とか思い込んでるだけなんよ。

以前話してもらった『未完成のジグソーパズル』の話を思い出したよ。
「埋まっている」=「持っている」、「埋まっていない」=「持っていない」って話。これも捉え方によって変わってくるもんね。

まさにそうやな。その「事実」をどう捉えるかによって感情は変わってくるんや。
「良い」のか、「不満足」なのか、「有難い」のか…。これらは全て各々がラベリングしとるんや。

物事の見方は自由だもんね。
…どうせなら、心穏やかに過ごせるような視点で生きたいね。

どうしても一般論的に「良い」と「悪い」に判別されやすそうなものは確かにあるわ。
ただ、なるべく物事の良い面を見て『感謝』をする様に心がけて欲しいわな。もう一回言うけど『感謝=幸せ』なんよ。

でもさぁ…。
感覚的にだけど、「感謝出来ない人」が増えている様な気もするんだよねぇ。

どういう意味や?

うーん…。
なんて言うか「他人に無関心」と言うか、「物事を冷めた目で見ている」と言うかそんな人たちかなぁ…。

…なるほどな。
それは『見返り』にあるのかもしれんな。

見返り?

あぁ。
何か人にしてあげると「ありがとう」含めて、何かが返ってくることを期待している人なんちゃうかな?

それがどうして「感謝が出来ない人」になっちゃうの?

自分のしたことに『見返り』が無いから、親切心は無意味やと解釈してしまうんやと思う。
本心は、見返りを期待してがっかりしたくないんやろうな。

なるほどねぇ…。
確かに絶対「見返り」があるなら、人に親切はそりゃするだろうね。

自分としてはな、相手から見返りがなかったとしても『感謝』はして欲しいねん。
そもそも感謝していることが『幸せ』やからな。当たり前のことなんて、この世にはないんよ。

感謝を「自分」のためじゃなくて、「他人」のためにしていると思うとしたりしなかったりになっちゃうんだね…。

感謝にはちゃんと効果があるんよ。気持ちよく眠れるとか脳内から幸せホルモンが出るとかな。
簡単やろ?ただ「感謝」すればえぇねんで?

自分も含めて、物事をどちらかと言うとネガティブに見てしまうとなかなか『感謝』には至らないのかもなぁ…。
考え方一つ何だろうけど…。

そうやなぁ。『感謝』の効果を多分みんな知らんのやろ。
少しずつでもいいから、お前から浸透させて欲しいのぅ。

「感謝」の伝道師だね。

…なんやそれ?笑
