

最近、若手との会議があってさぁ。

ほぅ?それで?

まぁ…会議中に手が上がらないのよ。

手が上がらない…って、どういうことや?

発言をしたくない…ってことなんじゃないかな?

若手には「つまんない会議」やったんやろうかな?

いや、そういうわけでもないんだよね。
終わった後には自分のところに来て、なんやかんやと話してたのも何人かいてさ。

…会議中に話せばえぇのにな。

やっぱり「恥ずかしい」のか何なのか全然そういう風にしてくれないんだよ。
どうしたらいいかなぁ?

そもそも『恥』ってなんやと思う?

なんだろうな…?
でも「感情の一種」なわけでしょ?

「いつ」からその感情を持ち始めるんやろうな。

いつから?

そうや。
ごくごく小さな子供に「恥ずかしい」なんて感情ないんちゃうか?

どこかのタイミングで持ち始める訳か…。

小学校の頃先生が「わかる人~?」言うたら、みんな手上げてるやん。
それが、段々と時が経つと誰も手を挙げへんくなるわけよな。「恥ずかしい」って感情が生まれるんちゃうかの?

そっか…。何なんだろうね。
「恥ずかしい」って。

原因の大半は『理想と現実とのギャップ』やろうな。

ギャップ?

そうや。
「間違えたらどうしよう」とか『かっこいい自分でいたい』って思いがあるために、理想と現実とのギャップが生まれるんやろ。

それを人は「恥ずかしい」と呼ぶのかぁ…。

小さな子供には、その感覚がまだない。
つまりは『理想と現実のギャップ』なんてないから、 「恥ずかしい」とは思わんのちゃうかな?

なるほど…。
そうか…。

人の欲求として『承認欲求』がある限り、この『恥ずかしい』という感情は無くなることはないやろうな。

そうなの?

誰しも『尊敬』をされたいんやろ。「かっこいい」ままである理想を貫きたいんやろな。
間違えたら『尊敬』から遠ざかる感じがするやろ?

まぁ、気持ちは分からなくもないけど…。

でも『恥ずかしさ』を解放したら、その代わりに『応援』されるようになると思うねんけどな。

『尊敬』の代わりに『応援』か…。

悪くないやろ?

そうだね。

自分の恥ずかしい姿をさらけ出せる人は、人から応援されるやろな。

確かにそうだね。
テレビとかでもそうだもんね。

でも、やっぱり「恥ずかしい」が勝ってまうんやろな。

…どうすればいいのかなぁ?

…お前はどうしたいねん?

なんかみんなの考え方を少し変えて、会議中に手を上げることを「恥ずかしい」って思わないで欲しいかなぁ。
何かいい方法ないかな?

そうやなぁ…。
大枠の考えとしては自分が気にしてる「恥ずかしい」ことなんて、他人から見たら誰も気にしてないってことに気づいてもらうことちゃうか?前髪切ったの失敗した…みたいな女子、昔いたやろ?

…こう言っちゃ悪いけど、ちょっとどうでもいいやつね。

気にしてるのは自分だけや。
みーんな自分のことしか見てないから、『他人』の恥ずかしいだとか失敗なんてあんまり気にしてないのよな。

そうだね。
まずはその現実を説明をしてあげた方がいいかもね。

さっき『恥ずかしい』ってのは『理想と現実とのギャップ』の時に生まれるって言ったよな ?

そうだね。

当然「理想」より「現実」ができてないから『恥ずかしい』わけや。

うん。

裏を返せば、そこには『成長の余地』があるやろ?

成長?

理想と現実のギャップがあるからこそ人は頑張れんねん。
「こうなりたい」って思えるよな。

なるほど…。
そう考えればいいのか…。

「恥ずかしい」と感じれば、それは成長のチャンス。
チャンスなんよ。

少し考え方を変えてもらえれば、解決しそうな話だね。

ただ、合理的な話であっても「でも恥ずかしいから」って判断が勝ってしまうぐらいこの問題は実は根が深いかもしれんのよな…。
「誰にでもある」ってことは、大衆心理としてあるわけやからな。

なるほどね…。
なんとかしてみたいんだけど…。

まぁ、頑張りぃ。
